ケンパテラ
学生時代スポーツ万能で、ブリガム大学時代砲丸投げで当時世界歴代3位の記録を出し、メキシコ五輪代表補欠にも選ばれた。その後ウエイトリフティングに転向し72年ミュンヘン五輪銅メダリストになった。AWAの帝王ガニアがミュンヘンまでスカウトに行きプロレス転向が決まり、AWAでデビュー。77年サンマルチノのWWWF王座に挑戦しリングアウト勝ち。80年4月パットパターソンからWWFインタコンチ王座奪取。その4日後ケビンVエリックからミズーリ王座奪取し2冠となった。81年10月ブリスコから同王座を再び奪取しこの頃が絶頂期かと思える。WWF王座(バックランド)の牙城を突き崩す事は出来なかった。
84年4月マサ斎藤選手も巻き込む警察官暴行事件を起こしてしまい約3年の刑期を言い渡され、これまでかと思われたが、87年WWFに復活。AWAに移った89年3月ブラッドレイガンスとのコンビでAWA世界タッグを奪取した。同年9月足を負傷しタイトル返上し引退。
新日にも来日し各タイトルに挑戦したが、ポールオンドーフと同様、体が堅く、卍固めや関節技にもろい所を見せていた。